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2003.11.27

思想としての文献学

文献学抜きに学問としての思想が成立しないのは、現代思想の若手の旗手の東浩紀さんに対する唐沢俊一さんの最近の批判が参考になります。サブカルチャーをめぐる議論ですが、問題の構造は同じです。僕自身は世代的に東さんに近く、また中国哲学の現代性ということを重視しているので、この指摘は先達のもっとテキストを読みなさいという若手への批判と重なってきて、まあ他人事ではないのです。

裏モノ日記2003年10月25日:
「大衆向け娯楽映画を通してラカン理論を語る、 という彼(筆者注:ジジェク)の方法論は、オタクアニメを通してデリダを語ろうなどとしている一部の日 本の若手現代思想家のモデルだろう。そして、その、語る素材としての大衆文化の知 識の基礎が貧弱なことで、論全体がアヤシゲに思えてしまうというところまでが相似 形である。」

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