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2004.06.08

陰陽の貴賤

また仕事で遅刻しつつも、春秋繁露研究会に参加。最近ただでさえ低い読む力がますます衰えてる気がしてます。いかん、いかんです。

陰陽は西洋的二元論と違って陰と陽の間に自然な流通がある、てな感じのことを言われてたことがあります。確かに五行と同様に陰から陽へ、陽から陰への移行は発生する訳ですが、他方、陽と陰との間には明確な境界、貴賤の差があります。陰陽とは、光が粒子であり波であるように、この両方の特性を併せ持つんだ、とか考えると、しかし大きな誤解を生むでしょう。少なくとも董仲舒の段階では、陰と陽は相補的ではあっても一方が他方に変化したりはしないのです。
というのも董仲舒のまなざしの基本はこの世界、陰陽の気が働いている「場」に注がれているんですね。その場における陰と陽の関係は一方が他方に浸食しとってかわるように見えますが、それはコップの中に珈琲とミルクを注ぐようなもので、両者の分量の多少で珈琲に見えたりミルクに見えたりしますが、決して珈琲がミルクにはならないのです。陰と陽も気としてはそれぞれ独立しています。
より単純な説明が真実に近いとすれば、少なくとも陰陽に関しては、矛盾する資質を兼ね備えているのだなどとぶちあげないでも、陰陽の働く場/空間を想定するだけで簡単に説明できます。この方が自然界に例をとりやすく、実際の理解に近いでしょう。
こうした空間を意識するのは、実は中国哲学では基本的な要素の一つといえるでしょう。例えば『老子』の無の思想などがそうです。このことをきちんと論じてる人は、いてくれないと困るんですが、今ちょっと思い当たりません。困った。

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