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2004.11.07

ミイラ取り

タオの会後のみんなで食事はパスして帰ることにしたのでした。どうせ何か言われるし、言い返したくないし、ダウナー系の怒りがもやもやしていたのでとっとと退散したのでした。およそ怒りのような負の感情は、途中から怒っている自分自身が嫌になって更に負の力を増すし、そもそも自分の差配に関する不手際もあったので、自己嫌悪が増幅され、自縄自縛的な同じ失敗を過去にもやったことがあり、成長してない自分に更にむかついたりと、行き場のない感情をもてあました次第です。
政治的な判断では、それではなお自分の立場が悪くなるわけですが、この怒りに関わる何人かの人たちはそもそも自分の研究を評価してくれてなさありありなので、政治的なポイントを稼ぐというのは本末転倒だし、別にいいやと投げ出したのでした。マジメに研究しろってこった>自分。

実際のところ、大幅にやる気がなくなっていたわけです。それで差配の不手際が許される訳もないんですが、しかしこちらだけの問題かよ、とも正直思います。そもそも先方の担当が不明瞭のままで直接連絡もないのにもってまわったおしかりを受けたり(やるなら会場はあります、って今年も絶対やりましょうという意味に受け取らないといけないのか?)、会とは関係ないと言い切るのに勝手にやるやらないを決めるなとか連絡もしてこないのにおこられたり等々こっちだけの不手際じゃなかろうに的な事態であったし(そもそも去年はちゃんとやったぞ、僕。って別に僕は手伝ってただけだけど)と、前後していろいろあって振り回され(いやほんといろいろあった)、その時点からダウナー系の怒りがたまっていたのは事実。

しかし、どうして腹立たしいのかと考えてみると、ようするに結局のところ、ミイラ取りがミイラになっているのが気にくわない、というのが適切かもしれません。

そもそも、もっと自由な討論の場をということで、学会とは別に若手の集まりで研究会が作られたそうです。院生のときに僕は入会させてもらって、すごく衝撃を受けたのでした。いろいろ人間関係はあるにせよ(というのは後で徐々に知った。興味ないので気にしなかったし)、初学者の一歩手前にいる人間であっても姿勢として対等に扱ってくれるのがとてもうれしく、ああいつかはこういう研究者になりたい、と思ったものでした。けっこう意識して「先生」でなく「さん」付けで呼ばせてもらったりとかして、そういう気恥ずかしさとかがまたうれしかったりして。
幸いにもその後入ったいくつか別の研究会でも、だいたい自由な雰囲気で教授だからどーとか院生だからどーとかはなかったです。運が良かった訳です。もっとも師と弟子、先輩と後輩、といった関係性が不要だとは今ではもちろん考えてないです。オン(オフィシャルな学会やシンポ)とオフ(オープンな研究会やML)は陰陽のように相互補完されて十全に機能するものでしょう。尊敬できる師匠や先輩がいてくれることで、直接間接に学ぶところが多く、具体的な目標ができ、向上心を高めることができるのですから。

しかし、研究会が明らかに複数世代になって権力関係ができた(先生と学生の関係が発生してきたとか、仕事を紹介したりされたりとか)からといって、オフがオンになる、というのはどうかと思う訳です。だいたい設立趣旨は若手の自由な議論の場だったはずで、自分が上に立つようになってくると、方向転換してしまうのは本末転倒じゃないの?と。それは学会でやるべきことなんですよね。道文研をミニ学会にしてどうしたいのでしょうか。自覚してそうしてるのかどうかは知りませんが、何だかなと思います。どうやらここが自分の怒りの根っこですね。
仲間うちの都合とかそういったレベルでの話でなら、怒りよりも先に、お世話になってるし何とかしなきゃという気持ちが出てくるもんで、事実最初はそんな気持ちだったんですが、非常に甘い認識でした。そうじゃない理由をどしんどしんと負わされたわけです。

まあ、若輩者が後から入って偉そうになんやかんや言うなするなと言われれば、まったくもってその通りでございまして、異論などあろうはずもございません。余計な口など叩かず静かに文献読んで研究に没頭いたします。「先生」には失礼しました。頓首。みたいな。

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