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2005.03.10

研究者でパーティを組めばいいのに

朱子学研究方面の研究者の論争(といったレベル以前の問題もあるよーな)を見るにつけ、いろいろ考えさせられることがあります。ようするに漢文ヲタvs理論ヲタのケンカで、互いに理論嫌いのベタ読み好きなり、実践下手の大ほら吹きなり批判しているんですね。えーと、どっちの立場も分かるんだけどなあ。
確かに文献読めないと話になりません。場合によっては漢字1文字で文脈が全く違ってしまう場合もあるでしょう。そして文献の読解力はある程度経験に比例します。修行を積まんといかんわけです。しかしこの方向はあやうさがあって、ほとんど宗教研究が抱える問題と近づいていく。曰くきちんと読んでいけばそのうち著者(朱子)がいいたかったことがちゃんと分かるようになる云々。
えーと、それでは他者と議論を共有できませんよね? 解釈の正しさの証明を求めると、あなたも読みなさいと本を渡されるわけです。結局、理論的展望も想定せずひたすら読めばそのうち道が開けるかというと、現実的にはあり得ないってことです。だってこれまでの業界の来し方を見ればあきらかで、ベタ読みは内向きの漢文ヲタしか生んでこなかったではないですか。たまに業界の外で受けるようなものを書いた人が出れば、もう読みのあやしさとかビシバシ指摘して、引きずり落としたり。ええそりゃ誤読してるでしょうよ。だけど程度問題で許容すればいいじゃない、業界全体の裾野が広がるじゃないか、僕なんかはそう思います。
要はバランスということで、それも個人の能力としてではなく、業界全体を見渡しての話です。一人でベタ読みと理論吹きもどっちもこなせる人間はそうはいないわけで、全員がそれを目指すよりは、自分の資質によって、理論ヲタなり漢文ヲタなりに比重をおいて腕をみがき、実践をともなわないところに対して、排撃せず尊重していけば、あるいは。。。いやこれもまた理想でしかないんですが、それでも全員が全職業を極めて勇者になるよりも現実的な選択ではないかと。

付記(3/14):
朝もはよから柏の女子バスケットチーム寮へ。仕事です。
文脈が分からないというコメントをもらったんですが、去年の日本中国学会での朱子学をめぐるやりとりとか、東洋大学での内輪学会や学会誌や日頃の言動やら、いろいろまああるんですが、具体的に書くのはよしとこうかな、と。いやじゅうぶん覚え悪いみたいですが。
河合塾の大学の先生からの言葉でこんなことを小島さんが言ってます。

外部の人がしばしば誤解しているように、漢文オタクの集団養成所ではなく、現代・未来の問題を念頭においた教育をしている(つもり)。

哲学分野のところに置かれない、中国哲学こそを僕は問題としたいのですが、それはさておき、個人的にも研究会でお話ししたことのある小島さんのこうした考えや実践には非常に共感を覚えるのですが、他方、それに感化されてる同大学のフォロワーっぽい院生の発表を聞いたりすると、自分のことはさておき、もう少し普通に文献読んだら?と思うことがしばしば。文献学的苦言を呈するマスタークラスの先生方の気持ちに肩入れしてしまう、引き裂かれた自分がいるのでした。

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コメント

状況をよく知らんので一般論だけど、漢文ヲタ(=文献学?)と論理ヲタは、異なる本質を前提とする本質主義者なので、基本的には相容れないのではないかと (^_^;; そこに落としどころを見いだしてあげるのも人文工学でござる。

投稿: もろ | 2005.03.14 00:00

一人の人間として、相容れない本質をその身に宿すことは可能かと(^_^;) 追いつめればどっちかの立場に人は立つでしょう。でも追いつめて出てくるのがその人の本性だと思うのはさびしい。人文工学に期待してるのは、まさにその落としどころなんです。自分の中の葛藤をそこに収束できるんじゃないかと思ってたりしてるわけで。

投稿: ぱーどれ | 2005.03.14 07:04

一人の人間が両方を持っている場合は、分裂症でもない限り適当に落としどころを見つけてしまうので(これって、脳みそのすばらしい機能なんじゃないかと思ってしまう)、やはり人文工学がやるべきなのは集団ではないかなぁ。

あと、院生君の発表を聞いたことがないのでこれまた想像だけど、「もう少し普通に文献読んだら?と思うことがしばしば」というのは多分正しいんだと思う。例えばデリダやそのフォロワーがやった(ている)ことっていうのは、徹底的に著者の意図に沿った読みをしてみる、というごりごりの文献学の上にのっかっているんだよね。デリダも、俺は伝統的な学問を否定してないぜって、どこかで釘を刺してたと思うし、フランスの文献学者はデリダの仕事をそれなりに評価できている(わかんない部分はわかんない、賛成できない部分はできないってね)。日本でヲタが住み分けしちゃってるのは、一つには勉強不足、もう一つは制度的な問題かなぁ、よくわからん。

ということで、ともかく、お互いがんばりましょう (^_^;;

投稿: もろ | 2005.03.15 22:41

うーん、そうですね、人文工学により個々人が見つける落としどころを客観的(まあ使わせておくれ)に示せることで、集団に機能するという理解なのですが奈何?

いやもう、お互いがんばりましょう。つーか、僕ががんがれ(^_^;)

投稿: ぱーどれ | 2005.03.15 22:55

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