« 駒形どぜう | トップページ | 宇宙の始まりはしずく? »

2005.04.14

論文博士がなくなる?

Yahoo!ニュースより。

企業や公的な研究所で業績を挙げた社会人が、論文などの審査を基に博士の学位を得る「論文博士」制度を廃止し、大学院のカリキュラム修了者を対象に与える「課程博士」制度に一本化する方向で一致

したそうです。うーん、文学部の場合、大学院を修了した研究者が長い研究の果てに成果として公刊した書籍をもって、「論文博士」と認定するのがならわしなのですが、ここからはそうした「伝統」を感じさせるニュアンスは伝わってこないですよね。人文系はどこもだいたい同じだと思うのですが、それは特殊事情だとして無視されたんでしょうか。まあニュース記事だけなのでそのあたり言及されてないだけかもしれません。
僕自身は課程博士をゲットしてるからいいですけど(仕事もあって手直しが進んでないですが、いやまあそれはそれ)、いまだに「博士であれば「論文博士」でなくてはね、以後ますます精進したまへ」と博士後期修了してそのまま投げ出される院生もいるんですが、どういう救済措置があるんでしょうか。現状では博士課程入学後8年以内でないと再入学して課程博士の取得が出来ないとか制限があるんですが、ここを緩くしてくれるんですかね。
しかし制度上一本化してくれれば、きちんと指導しなくてはいかんという意識が教員側にも芽生えますから、理不尽な目に遭う院生は減るかもしれません。

【追記】(5/23)
取得の期間制限は大学によって違うようです。上記のは僕が学位をとった大学の話です。
文科省の公式資料では、人文系の場合、

学位論文に係る研究についての中間発表、学生の研究遂行能力を適切に把握するための専門分野及び周辺分野の理解度に関する口頭試験の実施、論文公聴会、論文審査会等の中間的な段階を適切に設定していくことが有効

だということですから、ようすれば、教える側がしっかりせいよ、ということですね。そういう体制ができている大学はどれほどあるでしょう。それに公聴会とか審査会とか、現状からして院生には負の圧力しかかからないような気がします。学問の自由は同世代か上の世代にしか認めない大先生はまだまだいらっしゃる訳で、そうした一方的な師弟関係の効用は確かに認められるでしょうが(内田樹『先生はえらい』など参照)、それはパーソナルな関係において有効なのであって、制度的な後ろ盾を与えてしまうのはまずいでしょう。学問は義務ではありません。縮小再生産が強化されはしないでしょうか。

【追記】(5/27)
たださえとんでもない教授と院生はいるものだ、というこわい話。よき指導教授・よき先輩に出会わなかったら、業界に見切りをつけてたなあと、縁あったことを感謝してしまいます。そうそう反面教師にも感謝を。

|

« 駒形どぜう | トップページ | 宇宙の始まりはしずく? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/2086/5629973

この記事へのトラックバック一覧です: 論文博士がなくなる?:

« 駒形どぜう | トップページ | 宇宙の始まりはしずく? »