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2005.12.20

端腰は養腎

年末最後の練習で、終わった後案の定飲み会があったんですが、所用があって参加できませんでした。残念だあ。

ここしばらく腰の充実について、話があったり、走圏の型を直されたりしています。気血を養うには腎を養う必要があり、端腰はまさに腎を養っているのだとのこと。走圏の際に地面をかんで歩く抓地を行うと、筋がつくられるだけでなく、土踏まずのところにある湧泉穴が刺激されて、左右に抓地するごとに気脈が通じている左右の腎臓が充実するんだそうです。瞑想(意念)だけで気脈を通すのはたいへん難しいが、八卦掌では走圏という身体を動かす行為によってこれを成し遂げると。なるほど。気脈の貫通は身体感覚として実感される以上は、身体側からのアプローチもできて然るべきで、邪念の多い現代人には(僕だけ?てことはないでしょう)、こうした身体的実践の方が向いているというのは納得です。

で、邪念ついでに以下は妄想。
腰の充実とともに大切なのが、含胸亀背、胸の弛緩なわけで、腰が腎を養うのであれば、胸はやはり心臓ということになるのでしょうか。ここは老師に要確認ですが、妄想なのでそのまま続けてと。すると、心と腎となればこれはまた内丹の文脈になります。走圏は上半身の気を下へ降ろし上を虚に下を実にすることが目的の一つですが、心は陽、腎は陰、つまり、心の陽中陰を、腎の陰中陽と入れ替えるという内丹の実践の一過程として読み解くことができそうです。陰=肉化した気、陽=清虚な気、という補助線を入れれば悪くない解釈ではないかと。

じゃあその後の丹の完成はどう読み解くべきか気になりますが、そういうことを考えれる段階まで到達するのにはまだまだ時間がかかりそうです。

ちなみに一般的な筋肉に頼った力は「後天」の力、筋による力は「先天」の力というそうです。やっぱり内丹って、この手の思想の基礎体力になってます。

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2005.12.16

TRONSHOW2006で見たぞ漢字12万字

漢字12万字が気になって、最終日30分前に駆け込みでTRONSHOW2006を見てきました。パーソナルメディアのブースに行ってみると、超漢字に12万字がしっかり搭載されてました。

さて、ブースでもらった報道用資料によると、12万字のフォント、T書体フォントの内訳は以下の通りでした。
まずGT書体が78,675字。
次に非漢字文字セットが1,814字。その内訳は以下の通りです。

JIS X 0213(第一面非漢字)+JIS X 0212:1,442字
濁点かな文字:204字
住基変体仮名:168字

そして宋明異体字・金文通釈文字セットが35,160字です。
まず宋明異体字文字セットとして以下の4つの異体字字典にもとづいたサブセットが用意されています。
龍龕手鑑:15,117字
篇海:12,837字
碑別字:4,190字
宋元以来俗字譜:2,355字

各サブセットは元の字典に収録されている文字からGTに収録済みの文字を省いたものとなっているそうです。各サブセット間で重複した文字があった場合の対応については特に記されていませんでした。
ブースにいた担当の方の話では重複してもそのまま収録されているんじゃないかとのこと。実際はどうなのか分かりません。
次に金文釈文が661字。白川静せんせいの『金文通釈』に基づいたそうです。
宋明異体字や金文釈文文字セットについては、部首および画数による文字検索ができる超漢字用ツールが用意されています。
このうちGT以外の文字セットには新たにTRON文字コードが割り当てられています。

ブースではこれらの文字セットが超漢字上ですでに動いていたわけですが、実際の製品に搭載されるのは来春になるだろうとのことでした。フォントの公開よりも遅れるんじゃないかとの由。
ちなみにWindows用のフォントはGTフォントのように、JIS第一、第二水準にフォント切り替えで割り当てたものになりそうです。やっぱり。ただ、このあたり担当の方はきちんと把握されてはいないようでした。まあ超漢字と関係ないですもんね。しかしこちらとしてはいちばん気になるところだったりするわけで。
ちなみにディスプレイ上での確認なので、微妙なところでしたが、T書体の明朝・ゴシック・楷書はそれぞれきちんとできていたように見えました。印刷できれいにでるとうれしいです。ま、僕はあまり気にしないんですけども。

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2005.12.14

「薫陶する」ことの大切さ

甲野 「薫陶する」という言葉があったでしょ。その場に一緒にいることが大切ということです。 やはり体験すると違いますよ。例えば私の体の使い方の基盤の一つである足裏を水平にして、そのまま垂直に上げる歩法は、八卦掌の平起平落という歩法が参考になっています。この歩法を、本場中国の八卦掌の指導者から「これが大事なんですよ」と言われた瞬間に頭の中に三つくらい落雷があったような感じがして、ものすごく納得がいきました。平起平落という言葉は以前にも耳にしていたのですが、目の前で、まさにその人に接して話を聞くというのは全然効果が違うんです。
甲野善紀・内田樹「体育の見直しが教育を救う“学び”とは別人になることだ」@中央公論2006年1月号、p.63

この後、内田せんせいのe-ラーニングあかんやろ説が続きます。人と人とが直接向き合う中で磨かれる身体感覚みたいなものが教育には必要といったような対談内容にはおおむね納得するんですが(でもこれってコミュニケーション力とか人間力とかに回収されそうでいやだなあ)、「数値化できない、科学的に説明できないことを、きちんと事実として受け止めて、取り扱っていかなければいけない」という結論には同意できません。個人的な関係性でやるのならともかく、制度としてやってしまうとゆとり教育と大差ない結果になるような気がします。数字と科学の後ろ盾がない意見は、結局それが実行されるまでに歪められてしまうのではないか。悪意ある(とまではいかなくても利害を異にする)相手が納得しづらいと思うんですよね。
それはともかく、おお、こんなところにも八卦掌がと思って、練習後の不良グループの飲み会で話したところ、それは間違いなく李老師のことでしょうとのコメントが。やっぱりそーかー。うう、早く伝説を見たい。

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2005.12.13

漢字12万字の無料フォント

坂村せんせいによって「約12万字からなる世界最多の漢字フォント集」が作成されたそうです。

制作は東大東洋文化研究所が協力。日中の代表的な辞書などに収録される8万字のほか、宋や明の時代の文献からも3万5000字を収録した。フォント集は明朝体、ゴシック体、楷書(かいしょ)体で構成し、基本ソフト(OS)に関係なく利用できる。

NIKKEI NET(via /J

GT書体じゃない点がすばらしいです。でもなあ、記事によれば「14日からソフト開発会社などに無償公開する」そうで、てことは個人は対象に入ってないんですかねえ。GPLで公開すればいいのに、どうしてわざわざ評価を落とすことをするんでしょうか。何とも残念です。天下の東京大学、けちくさいことは言わず、「フリー」で公開してもらえないでしょうか。

【追記】:12/14

T書体フォントに含まれるのは、東京大学多国語処理研究会によって制定された「GT文字セット」の78,765字に加え、江戸時代および中国の宋・明・清時代の文献から抽出された漢字のうちGT文字セットに含まれない「宋明異体字」が34,499字、白川静著『金文通釈』を材料とした金文研究のための「金文釈文文字」661字、そして、変体仮名や、マンガの表現に見られる濁点仮名(「あ゛」を1文字で表したものなど)など非漢字文字1,814字の計 115,739字。それぞれの字について「T明朝体」「Tゴシック体」「T楷書体」の3書体が用意されるので、公開されるフォントデータは合計約35万文字となる。
PCWEBより。

おお、これはなかなかすごい。「14日より東京国際フォーラムで開催される「TRONSHOW2006」で公開され、来春より同研究室のWebサイトを通じて配布する予定」だそうなので、NIKKEINETの記事は前半までのことで、一般公開は企業相手より遅れて行うということでしょうか。ブラボー。よかったよかった。来春が待ち遠しいです。
しかし心配なのは、Windows版が結局Shift-JISベースのTTF切り替え式だったりしないかといったことです。正直、どうせ切り替えでもUnicode3.2とか4.0ベースにして、1セット目だけでフル多漢字Unicodeフォントとして使えるようにしてほしいのですが。そうしてくれたら、まさに坂村せんせいは神!ですが。。。

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2005.12.09

スズキメソッドと八卦掌

といっても、実際に何らかの交流があったわけではない。仕事で頂いた資料の中に以下のような箇所があって、つらつらと妄想してしまったのです。

 私が目指していることは、演劇という表現様式のうちに、もう一度人間の身体の能力を全体性として取り戻すことである。ただ単に能や歌舞伎のような前近代的な演劇に現代演劇の表現を近づけるということではなく、それらが備えている独自で優れた点を現代演劇の衰弱という病を克服するために利用し、新しい演劇をつくりだすことである。ばらばらに機能し衰弱しつつある身体諸機能に、動物性エネルギーに基づいた知覚と表現能力を取り戻させ、その力を一つにまとめることである。そうした努力によって、文明化した社会のうちに文化を力づよく存続させることができると考えるのである。  私の俳優訓練の方法は、下半身、特に足の訓練に重きを置いている。それは身体と大地との接触感覚にこそ身体機能を活性化させる入り口があり、そこが演劇の出発点だと信じているからである。
 舞台上の演技の基本は、足の使い方である。手や腕の動きは、足によって決められた身体の姿形に表情をそえるにすぎない。また、声の強弱やニュアンスも、足によって左右されることが多い。腕や手がなくても、人間は俳優であることはできるが、足がなくてはなかなかおぼつかない。
 人間の身体の構成やその構成を支える力の配分が、腰を中心にして統一されるのは、私の訓練だけの特殊性ではない。おそらく舞台芸術といわれるもののすべてが、そのことにおいては一致しているといってよいだろう。ただ、足踏み=地面をたたくということによって、それを最初に意識させようとする訓練は、私の特殊性ではないかと思う。
 大地から飛翔することのみを心がけているようにみえるクラシック・バレエにしても、その基本的な身体感覚は地面への親近感の上に組み立てられている。ゲルハルト・ツァハリアスの『バレエ』によれば、クラシック・バレエの基本的な所作であるブリエは、次のような考え方の上に成立している。
 ブリエは、《足をふみしめる》努力を象徴するものだ。「夢の中にあらわれる足は、大地に接するオルガンという意味で、地上的現実との関係を表している。」ブリエっがなにを象徴するかということについては、膝が、地下的なもの・性的なものと関係するという事実−−膝(genu)と性(genus)とは根源的関係があるようだ−−と照らしあわせて考えなければならない。
 ダンス・アカデミックのブリエは、(表面的な解釈とは反対に)高みと深みの、大空と大地の、軽と重との、ダイナミックな均衡を表しているのである。
 日本の伝統芸では、この二つの方向への力が腰の部分で衝突し、そのエネルギーを空間の水平面に放射する。だから上半身が高みへ向かおうとすればするほど、下半身はその動きにブレーキをかけるように下降しようとする。足による地面への密着感を強めるのである。その象徴的なしぐさのひとつが摺足、あるいは足拍子を踏むという地面への親近感をあらわす動きであることはいうまでもない。
 地面を踏んだりたたくということは、日本であれヨーロッパであれ、人間が身体を力強く意識したり、フィクショナルな空間、これを儀式空間とよんでもよいが、それをつくりだし、変身するために必要とされてきた普遍的といってもよい所作である。
 能や歌舞伎に床を踏みならす所作が多いのも、こういう身体感覚にもとづいたものであるとみなしてよい。
 地霊や地に還った祖先の魂、そのエネルギーをよびだし、身につけると錯覚するための手 続きだったというべきだろう。反響はその地霊や祖霊と呼応する身体的な実感を獲得したとする証拠であろう。この錯覚は今でも舞台に立つ人間には必要である。
 おそらく、民俗の違いを超えて身体が感じている感覚の共通性がもっともよくあらわれているのは、上半身ではなく下半身、足である。足だけが、人間の唯一の拠り所である地面と、踏んだりたたいたり打ったりして、いまだ持続的に交流している身体の最後の部分だからである。
鈴木忠志「文化は身体にあるーー足の文法」 『鈴木忠志』 (財)静岡県舞台芸術センター、2004年6月所収より。

中国武術もこうした足の文法を中心におくものでしょう。もちろん、個々の伝統において「文法」の内容は違いますが、ここで述べられているようにその基層的思考は同じだと思います。陰陽道を修めている師兄が八卦掌を学んで禹歩に魂が入った(意訳)と言われてました。近代演劇からすれば錯覚ということになるでしょうけど、身体的実感を伴うものであることは疑いないわけで。
動物性エネルギーの賦活の必要性について、現代では身体じゃなくて精神の方が動物化しつつある方が問題とされつつあるよなと思った次第ですが、その解決(それが一応解決すべき問題としてだけど)としては、使い古されているとはいえ結局こうした身体性の重視が確かな解でしょう。理屈でどうにかならないことを無力に感じてはいかん、ということで。

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