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2005.12.09

スズキメソッドと八卦掌

といっても、実際に何らかの交流があったわけではない。仕事で頂いた資料の中に以下のような箇所があって、つらつらと妄想してしまったのです。

 私が目指していることは、演劇という表現様式のうちに、もう一度人間の身体の能力を全体性として取り戻すことである。ただ単に能や歌舞伎のような前近代的な演劇に現代演劇の表現を近づけるということではなく、それらが備えている独自で優れた点を現代演劇の衰弱という病を克服するために利用し、新しい演劇をつくりだすことである。ばらばらに機能し衰弱しつつある身体諸機能に、動物性エネルギーに基づいた知覚と表現能力を取り戻させ、その力を一つにまとめることである。そうした努力によって、文明化した社会のうちに文化を力づよく存続させることができると考えるのである。  私の俳優訓練の方法は、下半身、特に足の訓練に重きを置いている。それは身体と大地との接触感覚にこそ身体機能を活性化させる入り口があり、そこが演劇の出発点だと信じているからである。
 舞台上の演技の基本は、足の使い方である。手や腕の動きは、足によって決められた身体の姿形に表情をそえるにすぎない。また、声の強弱やニュアンスも、足によって左右されることが多い。腕や手がなくても、人間は俳優であることはできるが、足がなくてはなかなかおぼつかない。
 人間の身体の構成やその構成を支える力の配分が、腰を中心にして統一されるのは、私の訓練だけの特殊性ではない。おそらく舞台芸術といわれるもののすべてが、そのことにおいては一致しているといってよいだろう。ただ、足踏み=地面をたたくということによって、それを最初に意識させようとする訓練は、私の特殊性ではないかと思う。
 大地から飛翔することのみを心がけているようにみえるクラシック・バレエにしても、その基本的な身体感覚は地面への親近感の上に組み立てられている。ゲルハルト・ツァハリアスの『バレエ』によれば、クラシック・バレエの基本的な所作であるブリエは、次のような考え方の上に成立している。
 ブリエは、《足をふみしめる》努力を象徴するものだ。「夢の中にあらわれる足は、大地に接するオルガンという意味で、地上的現実との関係を表している。」ブリエっがなにを象徴するかということについては、膝が、地下的なもの・性的なものと関係するという事実−−膝(genu)と性(genus)とは根源的関係があるようだ−−と照らしあわせて考えなければならない。
 ダンス・アカデミックのブリエは、(表面的な解釈とは反対に)高みと深みの、大空と大地の、軽と重との、ダイナミックな均衡を表しているのである。
 日本の伝統芸では、この二つの方向への力が腰の部分で衝突し、そのエネルギーを空間の水平面に放射する。だから上半身が高みへ向かおうとすればするほど、下半身はその動きにブレーキをかけるように下降しようとする。足による地面への密着感を強めるのである。その象徴的なしぐさのひとつが摺足、あるいは足拍子を踏むという地面への親近感をあらわす動きであることはいうまでもない。
 地面を踏んだりたたくということは、日本であれヨーロッパであれ、人間が身体を力強く意識したり、フィクショナルな空間、これを儀式空間とよんでもよいが、それをつくりだし、変身するために必要とされてきた普遍的といってもよい所作である。
 能や歌舞伎に床を踏みならす所作が多いのも、こういう身体感覚にもとづいたものであるとみなしてよい。
 地霊や地に還った祖先の魂、そのエネルギーをよびだし、身につけると錯覚するための手 続きだったというべきだろう。反響はその地霊や祖霊と呼応する身体的な実感を獲得したとする証拠であろう。この錯覚は今でも舞台に立つ人間には必要である。
 おそらく、民俗の違いを超えて身体が感じている感覚の共通性がもっともよくあらわれているのは、上半身ではなく下半身、足である。足だけが、人間の唯一の拠り所である地面と、踏んだりたたいたり打ったりして、いまだ持続的に交流している身体の最後の部分だからである。
鈴木忠志「文化は身体にあるーー足の文法」 『鈴木忠志』 (財)静岡県舞台芸術センター、2004年6月所収より。

中国武術もこうした足の文法を中心におくものでしょう。もちろん、個々の伝統において「文法」の内容は違いますが、ここで述べられているようにその基層的思考は同じだと思います。陰陽道を修めている師兄が八卦掌を学んで禹歩に魂が入った(意訳)と言われてました。近代演劇からすれば錯覚ということになるでしょうけど、身体的実感を伴うものであることは疑いないわけで。
動物性エネルギーの賦活の必要性について、現代では身体じゃなくて精神の方が動物化しつつある方が問題とされつつあるよなと思った次第ですが、その解決(それが一応解決すべき問題としてだけど)としては、使い古されているとはいえ結局こうした身体性の重視が確かな解でしょう。理屈でどうにかならないことを無力に感じてはいかん、ということで。

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