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2006.03.01

老子41章と八卦掌

~書きかけ~

さて、講習会での老子トークの続きです。最終日、ちょっと遅れて行ったので、お話そのものは伺ってないのですが、黒板には次の言葉が書かれていました。

上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之,不笑不足以為道。故建言有之:明道若昧,進道若退,夷道若纇,上德若谷,大白若辱,廣德若不足,建德若偷,質真若渝,大方無隅,大器晚成,大音希聲,大象無形。道隱無名,夫唯道善貸且成。 (第41章)


上士道を聞くに、勤めて之を行ふ。中士道を聞くに、存するが若く亡するが若くす。下士道を聞くに、大いに之を笑ふ。笑はざれば以て道と為すに足らず。

李老師は「若信若疑」とされていましたが、意味は同じですね。特に補注するまでもなく、意味は明晰。八卦掌を学ぶ者、上士たれ、ということでしょう。講習会の後で、李老師に、「走圏をしていると身体のここが痛むんですが」「手の形はこれでいいんでしょうか」などなど初学者何人かで質問させていただいたりしてたのですが、個々別々にお答えいただいた後で、「いろいろそういう疑問を持つのは分かる、私もそうだったから。でもひたすら練習あるのみだよ」とのお話が。走圏を続けて練功が積まれていけば、分かるようになるので決して焦ってはいけないと諭されたのでした。まさに「大器は晩成す」ということですか。
また遠藤老師からは別の日に、走圏をするときには、「含胸亀背下端腰……」といった具体的な要求を満たすことだけに専心し、他の武術ではこうだからこう動かしてみようとか、身体感覚で何か感じたものがあったからそれをさらに求めるとか、そうしたことをしてはいけないとのお話がありました。走圏を行っている最中も上士たれ、ということです。

うう、すいません中士で。。。走圏の最中もついつい「あうあう、痛いよつかれたよ」とか心の中で叫んでますし、八卦掌を学ぶということ自体をやはり距離を置いて見ている自分がいます。前者は僕が単にへたれ、後者は研究者としての性ってやつでしょうか。いたっておりません。せめてへたれな自分は何とかしたいもんです。

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