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2006.03.31

羊シリーズの5:札幌成吉思汗しろくま

本店が札幌のジンギスカン屋さん、しろくまの新橋店に行ってきました。電話をして予約しようとしたら、予約はちょっとと言われ、飛び込みで行ったところ、全席カウンターのそんな広くない店でした。そりゃ予約はダメですね。同じ新橋の金の羊と比べると、お店はおしゃれな感じ。雰囲気はどっちも好きです。
味の方は、ラムとマトンとどっちも食べれて、どっちもおいしい!ブラベスト!でありました。特にマトンは羊の臭みが上品で(と書くと矛盾したようですが、いやそんな感じなんです)、びっくりしました。結局ラムとマトンを一人一皿ずつ食べてしまいました。羊の煮込みもあってこれも味わい深かったです。ミニいくら丼を食べて、ジャガイモアイスでしめました。大満足です。

値段もジンギスカン屋さんの標準的なものでしたし、総合評価はXaaHよりも上、金の羊と比べると悩むところです。でもこの三店は全部うまいんだあ。

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2006.03.27

六義園ライトアップ

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六義園のライトアップを見に行きました。しだれ桜がどっかーんと。見物客もいっぱいでした。裏口から入ったのですっと入れたと知ったのは帰りがけ。ずらっと並んでおりました。いやはや。

メインの庭園部分もライトアップされていました。

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桜は枝垂れ以外には八重が一本ライトアップされているぐらいでしたが、庭全般のライトアップはけっこう雰囲気が出ていました。桜のライトアップに比べると、しっとりって感じで品がよかったです。

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2006.03.21

八卦掌歌訣

〜書きかけ〜

李老師の講習会で教えてもらった歌訣のメモ。武術一般についてのものも含みます。

含胸亀背下端腰。上鬆下緊大力在腿。
胸を身体で包み、亀のように背を丸め、腰を下にまっすぐのばす。上半身はリラックスさせ、下半身は緊張させ、足に強く力を込める。

走圏の枢要はここにつきるそうです。言葉は簡単、しかしまったく実践できてません。うひー。

手到脚到腰腿到。心真神真力又真。三真四到合一処。防己有余能制人。
手が到達し足が到達し腰と腿が到達する。心が真実で神が真実で力も真実となる。三つの真実と四つの到達が一つに集まれば、自身を守ってその上で他者を制することができる。

身体が正しく動き、そこに精神が伴えば真の力が発揮されるそうです。理想ははるか遠く。

意到気到、気到血到、血到力到。
意が到れば気が到り、気が到れば血が到り、血が到れば力が到る。

意念の重要性。走圏では力は足に込めるが意念は丹田におくとの由。できません。ぐすん。

招不到術、術不到法、法不到功、功不到道。
一打は技に及ばない。技は掌法に及ばない。掌法は功夫に及ばない。功夫は道に及ばない。

最後は道の体得にある、とするといかにも精神的なお題目のようにも聞こえますが、身体と精神が相補的なものとして修行体系がデザインされているので、これは実効ある考えなのですね。

以下は応用編。

長江大海、波涛洶涌。
長江や大海は、打ち返す波がとどまることがない。
単刀看手、双刀看走。
一本の刀を扱うこつはもう一方の手に、二本の刀を扱うこつは歩法にある。

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2006.03.07

それって夢幻紳士では?

黒マントに身を包む主人公は、人の夢に入ることができる特殊能力を使って難事件を解決するダークヒーロー。 「父優作に続き松田龍平も探偵役」@Yahoo!ニュース3月6日

塚本晋也監督のオリジナルという触れ込みなんだけど、松田龍平を配してのこのキャラ、思いっきり夢幻魔実也を連想してしまいましたが。。。最近の『夢幻紳士 幻想篇』とか。

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2006.03.06

神田:ゴールデンドロップ

何年ぶりかで、神田のゴールデンドロップに行ってきました。40種類くらいおいているワインをバイザグラスで飲めるお店です。メニューはフレンチ+イタリアンといった感じで、突き出しとしてパンが出てくるので、アラカルトを自分で組んでコースにするもよし、バールみたく適宜注文してもよし、初心者がワインの味を楽しむにはちょうどいい感じです。ぐるなびクーポンだと月曜日はワイン半額!だもんで、ついつい飲んでしまいました。料理もおいしく店の雰囲気もよいので、実に楽しかったです。途中ですげーうるせーおっさん(というよりじいさんに近い年齢か?)たちが入ってきたのには閉口しましたが。TPOわきまえないのは年齢関係ないですな。

何でもオーナーが替わったので高級ワインも置くようになるそうですが、バイザグラスは引き続き続けるとのこと。また行かなくては。パーティもいいですが、デートかなんかで行ってカウンターで軽く2,3杯飲む、ぐらいもいいですねえ。

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2006.03.05

羊シリーズの4:高田モンスター軍へ資金協力

というわけで、高田総統プロデュースのジンギスカン屋さん、「モンゴリアンチョップ」に行ってきました。僕が行ったのはXaaHの方です。無印の方はまだ行ってないです。
正直、色物かと思ってたんですが、これがなかなか。値段は普通のジンギスカン屋さんと同じ、一人前850円ですが、ここの売りはたれが三種類、塩だれ、つけだれ、しゃばだれの三種類あることで、それぞれ味わいや肉の香りが違って、なかなか楽しめます。ついつい食べ過ぎてしまいました。

これまで行った都内のジンギスカン屋さんではトップクラスのおいしさでした。もちろん肉の旨さだけでなくメニュー構成まで含めての評価です。新橋の「金の羊」にはちょっと負けてるかなという感じでしょうか。実は有名な「くろひつじ」にも六本木店が出来てしばらくの頃に行ったのですが、イマイチでしたね。

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2006.03.03

老子3章と八卦掌

~書きかけ~

さて、講習会での老子トークの続き続きです。41章の一節を引かれた後に、李老師は以下の言葉を続けられていました。

不尚賢,使民不爭。不貴難得之貨,使民不為盜。不見可欲,使民心不亂。是以聖人之治,虛其心,實其腹,弱其志,強其骨;常使民無知、無欲,使夫智者不敢為也。為無為,則無不治。 (第3章)

其の心を虛しくし、其の腹を實たす[1]。其の志を弱くし、其の骨を強くす[2]

[1]
(1)「心者規也。中有吉凶善惡。腹者道嚢。氣常欲實。心爲凶惡。道去嚢空。空者耶入。便{急攴}人。虚去心中凶惡。道來歸之。腹則實矣。」
(2)「心懐智而腹懐食、虚有智而實無知也。」

[2]
(1)「志心に隨ひて善惡有り。骨腹に隨ひて氣を仰ぐ。志を彊ひて惡を爲さば、氣去り骨枯る。其の惡志を弱めれば、氣歸り髓滿つ。」(志隨心有善惡。骨隨腹仰氣。彊志爲惡。氣去骨枯。弱其惡志。氣歸髓滿。)
(2)「骨知る無くして以て幹たり、志事を生みて以て亂たり。」(骨無知以幹、志生事以亂。)

心や情念を静め腹に気をため骨に髄を満たすことが聖人の治、つまり道であるということですが、これはほとんど走圏で要求されている内容に等しいわけで、八卦掌で行うべき道、それは走圏だということなのでしょう。老子原文では政治の例えとして使われていますが、例えに使われるということは、身体観として当時すでに定着していたものだったのでしょう。
もちろん、上半身を虚に下半身を実に、という考え方は八卦掌に限らない伝統的な身体観にもとづくものです。李老師自身、どんな運動でも走圏で求められているものと同じ要求をもつものではあれば、それは良い運動であると言われてました。もちろん、そんな運動、そうはないわけですが。

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2006.03.01

老子41章と八卦掌

~書きかけ~

さて、講習会での老子トークの続きです。最終日、ちょっと遅れて行ったので、お話そのものは伺ってないのですが、黒板には次の言葉が書かれていました。

上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之,不笑不足以為道。故建言有之:明道若昧,進道若退,夷道若纇,上德若谷,大白若辱,廣德若不足,建德若偷,質真若渝,大方無隅,大器晚成,大音希聲,大象無形。道隱無名,夫唯道善貸且成。 (第41章)


上士道を聞くに、勤めて之を行ふ。中士道を聞くに、存するが若く亡するが若くす。下士道を聞くに、大いに之を笑ふ。笑はざれば以て道と為すに足らず。

李老師は「若信若疑」とされていましたが、意味は同じですね。特に補注するまでもなく、意味は明晰。八卦掌を学ぶ者、上士たれ、ということでしょう。講習会の後で、李老師に、「走圏をしていると身体のここが痛むんですが」「手の形はこれでいいんでしょうか」などなど初学者何人かで質問させていただいたりしてたのですが、個々別々にお答えいただいた後で、「いろいろそういう疑問を持つのは分かる、私もそうだったから。でもひたすら練習あるのみだよ」とのお話が。走圏を続けて練功が積まれていけば、分かるようになるので決して焦ってはいけないと諭されたのでした。まさに「大器は晩成す」ということですか。
また遠藤老師からは別の日に、走圏をするときには、「含胸亀背下端腰……」といった具体的な要求を満たすことだけに専心し、他の武術ではこうだからこう動かしてみようとか、身体感覚で何か感じたものがあったからそれをさらに求めるとか、そうしたことをしてはいけないとのお話がありました。走圏を行っている最中も上士たれ、ということです。

うう、すいません中士で。。。走圏の最中もついつい「あうあう、痛いよつかれたよ」とか心の中で叫んでますし、八卦掌を学ぶということ自体をやはり距離を置いて見ている自分がいます。前者は僕が単にへたれ、後者は研究者としての性ってやつでしょうか。いたっておりません。せめてへたれな自分は何とかしたいもんです。

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